友人から「桃のハネダシ、必要なら取りに来る?」の電話をもらう。桃のおいしさの半分以上は天気で決まる。昨年は干天続きで、桃の非常においしい年だった!
でも今年は曇天と雨。期待しなかった。やっぱり味はイマイチだったが、20個ほど頂く。
夜8時半過ぎに畑から戻った。完全に夜になってしまうと、蚊やブヨがいなくなるし涼しいし、快適に農作業ができる?ので、サツマ芋の草取りをしていたのだ。と、電話。「留守だったから、玄関に桃を置いて来た・・・」と。
今朝、別の親しい農家からも桃が届いた。
例年ならもう一軒、別の農家からも来るはずである。
桃の季節到来である。
スモモ、桃、葡萄、柿・・・・・季節になると、栽培農家から、こうして果物をたくさん頂く。フンダンに食べて、ダレヤカレヤにおすそ分けし、都会の友人らにもおすそ分けする。感謝!である。
ところが同じ地域に住みながら、全く貰わない、ほとんど貰わない家があるらしい。
「こんなにフンダンにあるのに、どうしてアチコチに上げないの?」と、農家の友人に聞いたら、「たとえ穴を掘って捨てるほど余っていても、嫌な人にはあげないの。農家ってそういうもんよ」との答え。
「どうしてそういうことになるの?」と尋ねたら、「普段の行いですよ!」とのこと。ナルホドナ~!
私の「普段の行い」はどんなもんだろう?
私はいわゆる世間的なお付き合いはしない。月5~6万円で暮らすのだから、世間並のお付き合いは不可能だし、そういう付き合いそれ自体に興味がない。
で、思い切りよろしくバッサリと切ってしまった。親戚を含めて、冠婚葬祭はしない。行政の最小単位である「組」にも入っていない。特に「組」に入らないことは、別荘族みたいに地元と関係を持たないなら可能だが、田舎では大問題で、いろいろ物議をかもした。これはなかなか大変だった!
だからいわゆる「行い」はヨロシクナイ!
けれど一方で、私は私なりのやり方で、ソコソコ誠実に付き合ってはいるつもり。例えば河川清掃とか地域消防団への寄付など、地域住民として当然と思われることは、喜んで義務を果たすし、組には入らないが、個人のレベルで、そこそこ誠実に付き合っているつもり。
この「ソコソコ誠実に付き合ってるつもり」が、評価されての戴き物かな?
昨秋、友人の山の畑に行った時、鈴生りの柿の木が4,5本もある柿畑が放置されていた。「もったいな~い!欲しい人に、このままで安く売ればいいのに!?」と言ったら、「気の乗らない話なら、畑で腐らせる方がマシって思う」との答え。
ウ~ン!経済最優先、拝金主義がバッコしているみたいな農村だけど、ナカナカややこしいんだ!
自分の「普段の行い」を反省しつつ、今年の桃を感謝して頂く!