藤原新也氏の有料マガジンから一部転載。
放射能は一筋縄ではいかないと。
「途中で農村を迂回しながら、線量を計りつつ、山の中腹にある寺を訪ねると、無人で閑散としている。白髪の老婆が社務所に居て、拝観料300円を払う。
この山の中腹も空間線量は市内よりやや下がって1.6マイクロ。
だが重要文化財の置かれているコンクリート作りの御堂に入って驚く。0.3マイクロ。
案内の老婆が線量計に気づき、興味津々。
ここは異常に低いですよ、というと「はーっそうですかい」と驚く。
福島のこのような山間の人々は自分の家やその周辺の線量を皆知りたがっているので、線量計を出すとまるで水戸黄門の印籠のように、ひれ伏さないまでも、数値を教えると「ありがとうございました。よかった、よかった、数字がわかって」と私がまるで神様でもあるかのように私に向かって手を合わせるお百姓さんもいらした。
こんな善良な人々の生活を台無しにしているこの今の状況を鑑みながら、そんな時は本当に切ない気持ちになる。
それとともになぜ役所は線量計を持ってまわり、計ってあげないのかと小さな怒りを覚える。
聞くところによると、第一原発の事故以降、役所からはまったく何の通達もないとのこと。
計ってあげると感謝されるように、みな本当の線量を知りたがっているのである。
その感覚というのは何なのだろうと、ふと思う。
たとえば熱を出して体温計で自分の体温を知るということに似ているのかも知れない。
計ったからといって症状が改善されるわけではないが、自分が今どのような状態に置かれているのかという情報は生きて行く上において基本的なことであり、こういった形で福島の人々と接触していると、それはひとつのカウンセリングに近い行為であることが分かってくる。
さて御堂の中の線量が低いのは、この近年出来たコンクリート製の御堂には窓が一切なく、鉄と木の二重扉で保護されているからだと思う。
古い文化財なのだが、あまり拝観する人はいないのだと言う。
当然3月の大量放射能が風に乗って来た時も、御堂は閉切られていたらしい。
「おばあちゃん、千手観音に守られてここで暮らしなさい」
そんな冗談を言うと大笑いして、会話の中で放射能には梅干が効きますというと、ぜひ私のところの美味しい梅干を食べていってくださいと、社務所のある古い家の中に案内された。
がっしりした昔の作りで、地震にもびくともしなかったという。ちなみに家の中は外より低い、0,9マイクロ。
それを伝えると家の奥からまた二人の白髪老婆が現れ(姉妹らしい)「私たちはお化けと言われとります」と冗談を言いながら、線量が低いことに大変喜ぶ。
だが私はここで思いもよらない老婆たちの言葉を聞くはめになる。
山の途中の蕗(ふき)の葉っぱが大きすぎるように思うと言うと「今年はあんなに大きいと皆驚いているんです」という。
そればかりか「今年はここの稚児桜やほかのところの枝垂れ桜が、これまで見たこともないほどびっちり隙間なく花をつけ、これまで見たことのないほどのピンク色に染まったんです」という。
それに、春に赤くなる楓(かえで)もあんな赤いのは見たこともないというのである。
歳のころ長女で80歳を越えるわけだから、つまり80年間でそのような桜や楓を見たことがないという事である。
冗談の好きな姉妹で「私たちゃ、放射能のせいじゃって言っておったんやけどね」という。
私はその冗談に即座に同意は出来ないものの私が房総で感じた、山の緑の艶やかさはやはりただ事ではなかったのかも知れないとの思いが脳裏を過ぎる。
愉快な姉妹とお別れして、寺の下に咲いている百日草(なんと夏の花なのに今咲いている)の根元に線量計を置いて驚く。
17マイクロシーベルトを記録したのだ。
年間約150ミリシーベルト。
文科省が一時出したあの馬鹿げた許容値、20ミリシーベルトをはるかに越えている。
この放射能というのは一筋縄ではない。
東北の作家がそれを「幽霊」と言ったが、まさに言いえて妙である。
私はその17マイクロを老婆たちに告げずに山を降りた。
いや告げるべきだろう。
拝観に来た人の子供などが、そのきれいな花の中に入らないよう、すぐにその周辺の草花を刈り取って、地面に埋めるなりしなければならないからだ。
明日はそのように指導したいと思う。」