午前中は、教育・民生常任委員6人で、市内の小学校の授業参観。参観のポイントは、普通の授業に、「支援スタッフ」と呼ばれる臨時の補助教師1人が加わっての授業。30人ほどの1年生クラスで、算数の時間だった。
クラスに数人「ちょっと問題あり」の子どもがいる。その子らの面倒を支援スタッフが見ていた。
参観後、校長・教頭・支援スタッフの教員・教育長・学校教育課長等との話し合いが持たれた。
学校側としては、支援スタッフはとても有用であること。したがって派遣時間を、週10時間から、さらに延長してほしい・・・ということだった。
私も基本的には補助教員の有用性は認める。けれど「ちょっと問題あり」の子どもたちは、どこの学校のどのクラスにもいる。そこに全て支援スタッフを派遣することは、財政上とても出来ない。
そこで地域の住民からボランティアを募り、活用したらどうか?と提案した。退職した教員はたくさんいるし、大学生もソコソコいるし、これからは団塊の世代の退職組もいるし・・・・・。
しかし一蹴された。「ボランティアなんて、やり手がありませんよ。それに何か起こったら、誰が責任持つんですか?」と。
世の中、学校を地域に開き、住民が教育に参加して、地域も学校も活性化されている例は少なくない。しかしそういう情報に興味がないと、情報はあっても目に入らない、耳に残らない。
我が市では、何かにつけて、お金を払うことが前提となり、そうするとすぐ資格がどうのこうの・・・・が始まる。で、結局狭い範囲の元教師・教員免許収得者から選ばれる。
な~んだ!元の木阿弥じゃん!
専門教育を受けた教師たちに任せておいたら、今みたいに、いい結果は生まれなかった・・・・・それが今の教育の現実では?
子どもはいろんな大人に囲まれて、育つ方がいいのでは?地域の大人だって、子どもたちと何らかの関係を持ちたいと、思っている人は多いと思うけどなあ。
まあこの件については、今後、じっくり・ゆっくり。
午後は標高1500メートルの山中に完成したダムを見に行く。ちょっとガスっていたが、雨は降らず、少々肌寒かった。あの分厚い作業着着用でちょうどいいくらい。
このダムは30年ほど前に最初の計画が作られて、その後色々あって、多目的ダムとして、やっと完成した。10月から注水が始まる。多分、我が県で、最後のダム建設だろう・・・とか。
ダムと水道浄水施設を合わせて、4百数十億円の規模である。
この4百数十億の投入以外に、標高1500メートルの深い山中まで、立派な道路がウネウネと建設されているから、ここにも莫大な金額が投入されているはず。
こうして巨額な税金を使いながら、このダムは100年ほどの寿命しか想定されていなかった!
百年後は土砂が容量の3分の2くらいを埋め尽くし、その頃は4万トン使ったダムのセメントも劣化しているだろうし・・・と。
それに本当のところは、実際どういうことになるか、分からないのだそう・・・百年を経過したダムがないから。
これに比べると、ローマの土木建築ってすごいなあ!だって2千年後でも、まだ使えたりするんだから!
それにしても、我々の水の使い方って愚かしいなあ!
例えば日常の暮らしの中で、上水である必要があるのは飲料用で、それは使用量の2~3割程度。残り7~8割は洗濯や掃除トイレや洗車等の生活水である。生活水は雨水の「中水」で十分。
逆に、
高いお金をかけた浄水を、
トイレに流すなんざー愚の骨頂!
我々に必要なのは、上水・下水以外に、「中水」という概念と思う。
田舎の家庭はほとんどが庭付き。庭の隅に500リットルのタンクを埋めて、雨水を溜め、洗濯やトイレの水は雨水で賄う・・・・・・こうすれば、巨額を投入して、大規模な自然破壊を伴うダム建設を、半減できたのにね・・・・・・!
まあそうなったら土建屋たちは上がったり!
政治家と組んで、そんなことはさせないだろうけど。
あらゆるところで、我々の税金は、賢く使われていない!
・・・と私は思う。