8月24日の「うれしい出会い」で書いたように、高1の少年に英語を教えることになった。今日が2回目だったが、あの時抱いた第一印象は今も変わらない。
これまで頼まれて数人の高校生を教えたけれど、だれもひどく無口だった。それでも教科書通りのことをやっていれば、それなりに答えるのだが、脱線して個人的な意見を聞くと、トタンに口が重くなり、「別に・・・・」と答えるぐらいで、こちらを大いにガッカリさせてくれた。
だから自分自身に言い聞かせていた。「もう時代が違う。お前には理解できない、全くタイプの違う人間の時代になってしまったのだ」と。
ところが彼の場合、違和感がまるでない。彼は私の前でかなり自由奔放に振舞い、表情も豊かで、会話のキャッチボールもいい調子!話題が教科書からかなり脱線するのだが、それをとても面白がってくれる。ま、波長が合った・・・・ということだろう。
笑ってしまうのは、私の前ではあんなに生き生きとした表情で、オシャベリな彼が、職員の前では、今風の仏頂面の高校生に変身することだった。鎧を着けて、まるで自分をガードしているみたい。
そう考えると、これまで教えた高校生たちは、私にガードを張っていたのかも?と思えてきた。私の中に警戒すべき何かをみていた?私はそれを自覚しなかったけれどね。つまり時代の変化というよりも、波長が合うか・合わないか・・・・そういうことだったのかもしれない。
振り返ってみると、かなり「変わっている」私の場合、波長がズレる人の方がずっとが多かった。そういう意味で、波長が合う人に出逢えたら、それはすごく「ラッキー!」ということだった。
ここまで書いて読み直し、改めて思ったことは、人間関係を始める場合、2つのタイプがある気がする。ひとつは、初めは心の窓を全開にしておいて、相手の対応によって、開いた窓をだんだんと閉じで行くタイプ。もうひとつは最初は窓を閉じておいて、相手の対処次第で、だんだん窓を開いてゆくタイプ。
私は典型的な前者のタイプ。心の窓を全開にして、最初は誰でも無条件に受け入れる。で、その後は相手の反応によって、あっちの窓を閉めたり、こっちの窓を閉めたり・・・。こうして付き合いの程度を決めていく。わずかしか心開けない人もいれば、ほぼ全開の無防備のままで付き合える人もいる。
このやり方、心に傷を負うリスクは高いけど、得るものも多い。
無口な高校生たちは、用心深く心の窓を閉ざしているタイプだったんだ!私はその窓を開けることに失敗したのだ!
何はともあれ、四十数歳の年齢差がありながら、こんなに苦もなく意思の疎通ができる若者と出逢えたことを、偶然の女神に感謝している!