昨日のエントリーにある意味関連がある話題なのですが。
これはSF作家レイモンド・ブラッドベリーの短編小説の題名。
この題名に誘われて、すごく読みたい気分にさせられた本だった。
内容はもう定かではないけれど・・・・・
広大な麦畑。
黄金色の小麦は刈取りの時期である。
1人の屈強な男が、大ガマを振るって、ザックザックと麦を刈っている・・・・・・なんのヘンテツも無い、秋の収穫の光景。
ただ・・・
刈られていく麦の一本一本は、誰かの命に繋がっている。つまり刈り取られた麦は、その人の寿命が尽きたことを意味している。
そこが普通じゃない。
無心に麦を刈る男は、「そういう存在」なのであった。
やがて日は西に傾き、黄金色の麦畑が赤く染まる頃、男は1日の労働に満足し、家路につく。
・・・・・以上が記憶に残るあの物語の骨子であるが、本当はかなり思い違いしているかもしれない。
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農業をしていると、「間引く」作業がとても多い。
大根や人参や豆を蒔くと、たくさん発芽してくる。これをそのままにしたら混みすぎて、とてもマトモな作物は育たない。だからドンドン間引く。
幼い苗は、どれも等しく命を持っている。けれど私という人間のいわば気まぐれによって、あるモノは残され、あるモノは間引きされる。
間引き作業をするたびに、この物語を思い出す。
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海が好き。
磯の岩場で、潮が引いた後の潮溜まりを覗くのがとても楽しい。
そこには小さな貝や魚や軟体動物や藻が、無心に命の営みをくり広げているミニワールドがある。そしてそれを眺めているワタシ。
・・・・・・・・そして想像する。
こうやって私たち人間が生きている・・・・・それを外側から眺めている存在があるかもしれない・・・と。
もちろん一般的にはそれを「神」と呼ぶのであろうが、私にとっては神である必要はない。宇宙人だっていい。
でも本当のところは、そういう人格を持った存在ではなく、生命の生死には何の関心も持たない、宇宙全体を貫く物理的法則に、地球や銀河や宇宙の運命は左右されているのだと思う。
そう考えてくると、広大な宇宙の中の無数の銀河の中の一つに過ぎないこの銀河、この銀河の中の無数の星の中の一つにすぎない地球、その地球誕生の歴史から言えば、ほんの瞬間的に繁殖しているすぎないバイ菌程度の人類・・・・・
人類の存在の「軽さ」と「重さ」の落差に眩暈がする(笑)!
宇宙の法則にとって人類の存在など、微塵の重さもないけれど、人類自身にとっては、今ここに在ることは、奇跡としか言いようがないほどに稀有のことであり、その存在は何事にも優先する???
・・・・・・・・・・・とりとめの無い話です。