昨日6日は、午前中は出初式。
3回目の出初式なので、
初回の、あの圧倒的な驚きや違和感はもうない。
それにあの時は合併直後の式で盛大だったが、今回は600人ほどで、こじんまりと。
午後からは、昨秋拾い集めた鬼グルミを洗い、干した。
例年なら50キロほどの量だが、今年は15キロほど。
今日7日はスクラップ用に切り抜いた記事をスキャンし、タイトルをつけ、パソコンに入れる作業を
6時間ほど。かなり片付いてきた。
その切抜きの中から、 「親のあり方」10か条」 という印刷物が出てきた。
昨秋、9月議会の教育・民生常任委員会の席上、教育長から、「こういうご時勢なので、親として最低限守るべきことを市民から募集し、制定委員会で10に絞り、それをわが市の『親のあり方10か条』として、制定する」と言われた。
その時の私の正直な感想は、何て安直な発想!そんなことで、何かが変わると思っているのですか???!!!だった。
単細胞の私は、思った通りを教育長に言ってしまったが(笑)。
しかし『親のあり方10か条』は公募され、選ばれ、制定されて、昨秋、各戸に配布された。
その内容は次のよう。
1 親から進んで挨拶をします。
2 手づくりの朝食で、健康な心と体をつくります。
3 家族は互いに認め合い、明るい家庭を築きます。
4 子どもからの話しかけをじっくり聴きます。
5 子どもの個性を認め、長所を伸ばし、ゆったり育てます。
6 親が社会のルールをきちんと守ります。
7 命の大切さと他人を思いやる気持ちを教えます。
8 良いことは誉め、悪いことは叱ります。
9 芸術や読書に親しみ、豊かな心を育みます。
10 学校を信頼し、共に教育にかかわります。
ずっと違和感を抱き続けてきた。
昨年の11月、地域の神社のお祭りで、神事の後のナオライで、偶然私の隣に座った人がPTA連合の役員で、制定委員会のメンバーだった。
で、さっそく彼に『親のあり方10か条』を制定した目的を聞いた。
彼曰く「今の親の多くはマニュアル人間で、ああいう形にでもしないと、分からない人が多い」と。
そこで私の思いをぶつけた。
「問題なのは、教育が、そういうマニュアル人間を作っていることじゃない?マニュアル人間って、自分の頭で考えることを放棄し、マニュアルに頼ろうとする。
そういう教育をしてきた、そこに問題があるんじゃない???
こういものを作って、それで何とかなるほど単純なら、この国はまるで違った国になっているのでは?
子育って、自分で考えて試行錯誤してながら、子どもとの関係から、答えを見つけていくのでは?
親を「マニュアル人間」って言うけれど、『親のあり方10か条』を作ることを善し!とする教育委員会や制定委員のメンバーの精神こそ、マニュアル人間の精神じゃじゃない?」と。
私には、安倍さんの「美しい国」と同じ系統の発想に思えるけれど。
でもリーダのあり方こそ、重要じゃない?
総理のあり方10か条、防衛大臣のあり方10か条、事務次官のあり方10か条、
代議士のあり方10か条、県知事のあり方10か条、市長の・・・・、教育長の・・・・、市会議員の・・・・とか。
国民とその国のリーダーは、相似形の関係にある気がします。
ならばエリートたるリーダーたちが襟を正せば、国民も・・・しいては子どもたちも、変わるのでは?
しかし自分たちのことは棚にあげて、よくもまあ!・・・・・・と思う次第(笑)。
昨秋の策定以降、この件については、何の話題にもならない。
制定し、印刷物になったら、それで終わり・・・という話?
するとこの事業に使われた税金は、何だったのだろう???